7 years


今日で3月が終わる。北米にいるとどうしてもアメリカのニュースが優先的に入ってくるけど、今月は銃所持・規制関連やトランプ大統領のスキャンダルが席巻していた。日本はと言えば森友問題一色。この件はもはやニュースを追う気にもなれず、、、。

今月に限らず、不穏なニュースは次から次へと湧き出し、それらも結局は日常の一部となっていくのだが、何年たっても「日常」に染まらず、今だ非現実な気がしてしまう3月の出来事と言えば7年前の東日本大震災。

震災後の閖上の丘の上で。

震災直後はいろんなニュースを見たし記事も読んだけれど、まだショックだったせいか、なぜか現実として記憶されていなかったように思える。しかし、先日機会あってある震災関連の本を読んだのだが、7年経った今になって、当時の状況がリアルに伝わってきた。

その本とは、津波の打撃が最もひどかった場所のひとつ、南三陸町の公立志津川病院で当時内科医として勤められていた菅野武医師が書かれた『寄り添い支える』。(河北選書)


大地震後、町全体が大津波に襲われ、5階建ての志津川病院でもアッという間に4階まで水が上がってくる中、患者たちを必死で5階に運んだ菅野医師はじめ病院スタッフ。

危険を承知で4階に戻り生存者を救出したものの、その後、救命・治療器具もなく、食料も暖房もない中で、見送るしかなかった命---

ほんの一瞬の違いで、ほんの数メートルの差で、ある者は津波にのまれ、残った者は残った者で地獄を見ることになり―。そんな死の淵に立たされた中での病院スタッフの救助行動や、避難者同士の助け合いの心。

これから読む方のために内容はこのあたりでとどめておくが、菅野医師は、震災時やその後の避難所での臨時医療体制設置などの自らの経験を通し、本の中で災害医療や普段の地域医療への提言をされている。実際に経験された中からの発言はとても意味がある。

そしてタイトルにあるように、治すか治さないか、治るか治らないかだけでなく、苦しい時に寄り添い支えることがいかに大事かという医師としての気付きも、医療現場以外でも当てはまるだろう。家族や仲間の絆の大切さも然り、、、。

宮城にボランティアに行った際たなびいていた旗

たとえ被災地のインフラなどが元通りになっても、喪失や絶望の中から得られたかけがえのない教訓は、多くの人に共有され長く語り継がれなければならない。いったんすべてが無くなった中で見出されたものこそ本質的なことだろうから。だからこうして体験者が記録を残すことにはとても意味があると思う。

また、私はこの本を読んで、人は最終的には「希望」によってポジティブに、自主的に動く、とも思えた。そもそも人は希望を見い出す力を備えていると思うし、他者に与えたり交換したり共有したりもできる。このことは災害救援時だけでなく、生きていく上でのキーだと思う。

壊滅的被害の中残っていた鳥居は希望のシンボル(宮城・野蒜)
  * * *

さて、この先は個人的な話になるが、、、。

今年はなぜか、この本を読む前から、過去の震災のことが私の頭の中でチラついていた。厳密に言うと、「震災が起きた頃の自分」とリンクしながら現れていたような感じ。

震災の起きた2011年は、自分にとってはビザの都合で急遽ニューヨークから日本に戻った転換の年であった。「自分ではコントロールできないなにか」によって、それまでの日常が一瞬で変わってしまうという点では、被災者と自分の状況は少し似ていた。

もちろん、私は生命の危機があったわけでないし、被災した人々の喪失の大きさや痛みには遠く及ばない。しかし、両者とも「日常の強制リセット」を経て、新たに仕事や生活を組み立てねばならなかった。

その年、私はちょうど40代に突入したし、元気だった父が大病を患ったりと、時の流れと人生後半戦のスタートを実感するような年でもあった。だから、震災や被災地を想う時、当時の個人的な複雑な心境がセットで蘇ってくる。


あれから7年。

被災地がこれまで必死で復興に向けて頑張ってきた間、私も私なりに人生の模索をしながら過ごしてきた。もっと広く見れば、世界中の人々が何かしらの困難を乗り越えようとしていただろう。

今思うのは、誰もがいつでもなにかしら苦しいことを抱えていて、それを乗り越えようとしたり、より良い方向に行こうとする状況が常にあるということ。それが前に進むということであり、生きるということなのかな、と。

でも、同じように喜びや楽しみももちろんある。どちらか片方だけ存在はせず、一方があるからもう一方があるという表裏一体なのだ。そして何に苦しむか、何に喜ぶかについては、どんどん変わっていく。それは自然なサイクルとなって常に流れてくる。

月の満ち欠けのように悲喜のサイクルはやってくる、、、。(昨夜の美しいブルー・フルムーン)

震災のことが今になって身近に思えるのは、7年前に「Move on!」(気持ち切り替えて前に進め!)と始めた自分のサイクルがいったん区切りを迎え、次なるステージに進むような気がするからかもしれない。被災地の復興だって、どんどん次なるフェーズに移っていくものね。

だから今そのサイクルを振り返って、そもそも始点にあった「震災」が蘇ってきているのかも?

さらにひとつ前のサイクルのことを言えば、それまで長く住んでいた仙台からニューヨークへ行ったのが始点だった。それもあって仙台=震災・被災地=転機というキーワードが頭の中でリンクしちゃっているのかも。

かつて通勤路であり生活圏であった仙台・定禅寺通り

今は具体的に見えてこないけれど、何かしらの変化や新たな目標を自分が要しているタイミングなのだろう。とにかく今年の3月は、なぜかこの7年を思い起こすような月であった。

いずれにしても、人生のどの部分を切り取っても、一見留まっているように見えても、私たちはかすかな希望を目指して、常に前に進んでいる。

* * *

文中で紹介した本は、アマゾンで購入可能。7年経って少し落ち着いて読む今だからこそ、心に染み入る内容。

菅野武 著


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