夢・記憶・シンクロニシティ

今日は、常々不思議だな~と思っていることを徒然と。とりとめなくなるけど、今仕事から目をそらして現実逃避したいので(笑)だらだら書くにちょうどいい。

まずは、眠っている時に見る『夢』。

人がなぜ夢を見るのか、夢とは何なのかには諸説があるし、脳や身体の仕組みはまだ未知な部分もあって、夢とはなんともつかみどころのないもの。

しかしよく聞くのは、夢は今自分に起こっている現実や、自分も知らない「無意識」を投影したドラマだ、ということ。


私はよく次の日に予定していることの夢を見る。

例えば、Aさんとレストランで食事をする約束をしていると、前夜にAさんと会って食事をする夢を見るのだ。

これは、私が寝る前に、「明日は何時に起きて、何を持って、何時に家を出て、、、」と頭の中で予定を確認するものだから、そのまま夢の中でシミュレーションが現れるのだと思う。

絶対に遅れられない朝のミーティングが控えている前夜、ミーティングに遅れそうな夢を見るのもこのパターンの一つだろう。寝てはいても、脳のどこかで「〇〇しなくては」という意識が残っているのだ。

私たちが夢を見ている間に輝く月

しかし、どうにも不思議なのは、繰り返し見る夢や、現実で会ったことのない人が登場する夢。なぜそんなことが起きるのだろう!?どうやってその見知らぬ人の顔を私は作り出しているんだろう?

そして奇想天外なストーリーは、脳の物理的な現象がもたらすのか、自分の想像力によるものなのか?

聞いたことのない言葉がキーワードのように出てくることもある。日本語でも英語でもない、初めて聞く言葉。

目覚めた時にそれを憶えていれば、私はその言葉をインターネットで検索するのだが、出てきた試しがない。いつかその言葉の意味が解る日が来るのだろうか、、、?


次に、『記憶』について。

記憶にまつわる不思議はものすごく多様なのだが、今書くのは、ここ数年で頻繁に起こっているフラッシュバックのようなイメージの記憶。ある記憶の断片が何の脈絡もなく、突然ふっと湧き上がる現象。

その時考えていることややっている動作は、その記憶と全く繋がりがないのに、、、。

記憶は落葉の一片のように、バラバラで頭の中にある

例えば、カナダの自分のデスクで面倒な法務系書類を読んでいる最中に、突然仙台時代のある食堂で食べた豚の角煮を思い出したり。

例えば、仕事で利息計算をしている途中で、フィラデルフィアで歩いた何でもない住宅街の風景が頭によぎったり。

例えば、トロント市内で駐車場を探してウロウロしている時に、以前旅行した地中海の島にいた犬の姿が目の奥に現れたり。

          ↑ コイツです。

今こうして書いている最中にも、なぜか前に出張で泊まった千葉・君津のひなびたビジネスホテルが頭に浮かんできたんだけど、一体なぜ?

どうして関係ないイメージ画像が急に頭の中に現れるのだろう?それは、私の意識上で認知できないだけで、実際は今思っていることややっていることと繋がりがあるのだろうか?

以前ブログで書いたように、国またぎの移動が多くて時間と場所が混乱するような時期があったので、その影響もあるかもしれない。

しかし、自分の予期せぬ記憶の断片が向こうからやってくる時、不思議だなあ、と思う一方で、「お?なぜ今それが来る?」と、謎解きを楽しんでいる自分もいる。

トロントと以前いたニューヨークは似ているので街のイメージの混乱はしょっちゅう(笑)

そして、『シンクロニシティ』。

スイスの心理学者・精神科医のカール・ユングが提唱した「シンクロニシティ」は、偶然の一致や共時性(離れた場所で同じことが同時に起こる事象)を説明したもの。

彼の考えをざっくり言うと、人々の間には共有している意識(集合的無意識)があり、そこで意識同士が作用して共に出来事を実現しているのでは?ということ。言い換えると、一見偶然に一致している出来事は、偶然ではないと。

広義には、予感や虫の知らせ、呼び寄せなんかも、シンクロニシティによるものと言われるようだ。

あるバーでBさんの噂話をしていたらBさんが入ってきたとか。(あるある)

ずっと会わないCさんのことを思い出していたら、ちょうどそのCさんから電話がかかって来た、とか。(あるある)

こういう予知的シンクロニシティは、「人は元々テレパシー的感覚があり、起こることを事前に察知している結果だ」と聞いたことがある。

かつて自然に近かった時、人間はテレパシーを使ったという

私もまさにこのケース、という体験はいくつかある。

街を歩いていて、Dさんとバッタリ会うシーンがふと頭に浮かんだと思ったら、数分後に本当にDさんとバッタリ会ったのだ。全くイメージ通りに!

それから「虹が出ていそうだな」と感じて外へ出たら実際出ていた、ということも何度かあった。

まあ、これは、漁師さんが風向きで天気を図るように、空の様子や湿気、それによる波動のようなものを実際五感で感知しているような気はする。天気によって関節がうずく、頭痛が起こるなんて人もいるものね。

その感覚がよりグレードアップしたもの、と思えば、予知的シンクロニシティは「ありえるな」と少しだけ思えてくる。

感覚による天候予測は可能なのだ

では、こんな私の経験はどうだろう。

ある時、トロントから日本に行くとき、シカゴを経由した。シカゴの乗り継ぎに2,3時間あって私はゲート前でうろうろしながら時間をつぶしていたのだが、その間、ある一人の中国人らしき男性と何度も目が合った。


そこは、ターミナルの突き当りで、狭い感覚でゲートが4つくらい並んでいるところ。どのゲートも出発間近の多くの人(合わせるとおそらく数百人)でごったがえしていた。だから、その男性がどの便に乗るかはわからなかった。

しかし、お互いキオスクに寄ったり待つ席を変えているのに、どこかにふと目をやったとき、その先に必ずその男性がいるのだった。きっと向こうも感づいただろう、やけに同じ人と目が合うなと。

そして搭乗が始まり席に着いてビックリ、なんとその男性は私の席の隣だったのだ!なんという偶然。

他の便の客も大勢待つ中で、同じ便だったのはまだあり得るが、ジャンボジェットだから300人くらいは乗っていただろうに、よりによって隣~!?

向こうもきっとビックリしたことだろう。彼は英語を話さなかったので、言葉を交わすことはなかったが、、、。

多くの人が行きかう空港で、、、。

これも、その人の意識と事前に打ち合わせていた、あるいは事前に察知した結果だろうか?

振り返ってみればこんなことは結構ある。特にここ数年は多いような気がしているが、それは覚えていないだけで、常々起こっているんだと思う。そしてそれは誰にでも。

ユングの集合的意識は、解釈によっては、一人の、あるいは複数人の「意志」で物事を実現することも出来る、と言えなくもない。

そう思うと、スポーツで自分、あるいはチームの活躍や勝利をイメージする「イメージトレーニング」や、「祈り」や「おまじない」によって何かを鎮めようとする行為も、そこには直接目に見える因果関係はなくとも、何かの作用はありそうだ。

逆に、記録的台風とか、世の中で最悪のケースを心配していると、本当に起こることもあるが、それもこの類かも?起きて欲しくないけど怖いモノみたさもある、ある種の集団の期待が事を実現しちゃってるとか?

ちなみに「祈り」についてだが、直接それが助けにならないと分かっていても、人はどうにも祈らずにいられないときがある。

それって逆に言えば、実際に作用があるからこそ、人は究極の状態になったときに(どんなに現実的な人でも)祈ってしまうように作られているのではないか?

人は時に、祈らずにいられない、、、。

また、考えたことが実現するなら、「夢は願い続けていれば叶う」と言うのも、単に人を鼓舞するだけの言葉でなく、本当にあり得るかもしれない。あり得るかもしれないなら思うのはタダだから(笑)、思った方がいいかもしれない!

とまあ、これらはユングの考えを当てはめた場合の想像の数々だが、真実は、少なくとも私が生きている間は人間にはわからないんだろうな、、、。

夢や記憶や思考の仕組みは解明されるか?

ただ、実際、ポジティブな人にはポジティブな人が集まっていいエネルギーが相乗効果として生まれるのも確かだから、ポジティブなことがどんどん起こるように、そういうことを常に自分で思い描いていたいな、とは思う、、、。

* * *

誰かのどこかのシンクロ話を聞くのも面白い。
たまたま見つけたサイト:カラパイア・世界10の超常的シンクロ
国際テロに3回も遭ったという人がいてビックリ!

もしこれを読んでいる方で、びっくりした「偶然」があったらぜひメールやコメントで聞かせてください。とっても興味あり! 


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