あなたのいる右側

もうおととしのことになるが、カナダから日本に帰った時に、不思議な体験をしたことがある。


最初はある夜だった。私が実家のお風呂の湯船につかった時、浴槽の右側―ちょうど私の右足の横あたりに何か「気配」を感じた。

そして、同じ日の夜、今度はベッドに入って寝る瞬間、また右側の足元に物体らしきものを感じた。しかも、「あれっ、この感覚、知ってるぞ」という、馴染みさえあった。

別な日には、私が立って歩いている時、やっぱり右側の膝あたりに、塊のようなものが動く気がした。

私はやっと気づいた。ロウニンだ。


***

カナダの家に犬のロウニン(浪人)が来て以来、私はほとんどずっと彼と一緒にいる。私が不在のときでも、誰かしらはロウニンと一緒にいるから、彼はこれまで家で一人になったことがない。

だから一人になるのが異常に不安なのか、私が家にいる間は、私が移動するたびについてきてしまう。

ホームオフィスで仕事中は私のデスクの横に。私がキッチンやトイレに行く時は随行。時にはバスルームに一緒に入って来て便器の真ん前で待つことも。まるで家庭内ストーカー!?

いつでも横に。


同じ家の中に私が居るのは音でもわかるはずだし、ガラス戸越しなら目でも確認できる。でもダメ。とにかく、自分の意志によってくっつけるくらいの「すぐそば」でないとダメらしい。

遮ってドアを閉めたり、ガーデニング作業中に近くにつないでおいても、近寄れない状態とわかると「開けろ!」「これを解け!」とばかりに吠えたり、鎖をかみ切ろうとしたり。

この距離ではもう離れすぎ(笑)吠えるロウニン。

きっと、彼らは距離を認識するとき、視覚・聴覚の他に、主人の波動のようなものをキャッチしているんじゃないだろうか?それが受信可能な範囲にいようとするとか?

あるいは、私を守るため、自分が危険に対して常にリーチできる体制を確保しようとする秋田犬ならではの「ボディーガード魂」か?

怪しい音をキャッチすると警戒態勢に。

いずれ、ちょっと度を越えてほとんどObsession(強迫観念)状態になっちゃって、可哀想に思うことすらある。

だって、せっかくロウニンが寝ていても、私がほんのちょっとキッチンにモノを取りに行ったりするだけで、起きてついて来ようとするから。

そのたびに「私がどこかへいってしまうんじゃないか」あるいは「ついて行かなきゃ!」と、思わせてしまっているということだ。

もっと訓練すれば良かったのだろうが、諸事情でそれは完璧には出来ず、意図せずこのような状態に。

結果して、仕事中はおろか、お互いの食べる時、寝る時、排泄する時といった基本生命行為を共にしているから、まさに一心同体。もう私とロウニンは「セット」になっちゃてる。

だから、私が日本に行った時に感じた足元の物体の感覚は、ロウニンであると今は確信できる。



***

さて、その日本で起こった感覚をどう定義・説明したらいいものか。それはテレパシー?テレポート?夢枕に立つ家族のようなもの?というか、死んでいないから生霊?いやいや、そういうのとも違う。

実際の感覚としては、、、病気や事故で突然自分の肢体の一部を失った際に、まだそこにあるような気がすると言う、あれに似ていると思う。

あるいは、長年連れ添ったパートナーが亡くなった直後、まだ側にいるように感じると聞くが、それも近いだろう。そういうもっとリアルでフィジカル(物理的)な感覚なのだ。

いつもいつも私の足元に居るから、ロウニンはマジで私の身体の一部になっちゃっている。膝のあたりに「一部外付け」ってな具合で。

私のベッドの横で一緒に寝るロウニン

1つの考えとしては、、、動物が私たち人間の波動をキャッチするように、私の身体も、私が知らない間に何かしらの波動をロウニンからキャッチしていたのではないか?あるいは、ロウニンも含めて私の身体の「気」が巡回している、と言えばいいか?

いずれ、常にそういう波動の交換なり循環なりが起こっていたならば、身体の方がその感覚を覚えていて、私の脳に「存在」を認識させる ― それが、私が日本で体験したことではないだろうか。

さらに考えるのは、一見関係なさそうな人間や動物の感情も、実はこういう物理的な作用に基づいて発生しているのではないか?ということ。

私のケースで言えば、いつもの波動の行き場が急になくなって、文字通りI miss youmissing=欠けている、あるべきところにない、恋しい)の状態になる。


そう、物理的な感覚がまず私にロウニンを体感的・感触的に思い出させ、それにより「ロウニンに会いたいな」と思わせたのだ。

同じ原理で、ロウニン側にも同じ「missing」が起こっていたのでは。事実、彼は私の不在中、私を探して私の部屋の前に何度も行ったり、そこに座り込んだりしていたそうだ、、、。

「愛の意識は時空を超える」「離れていても大事な人を想う、感じる」というようなロマンチックな表現があるが、実際はこのように物理的に起こっていることのメタファーと言えるかもね。

ヨガの間も、ぶつかるくらい近くに(笑)

***

何だか一部オカルトっぽい話かもしれないが、私は至って物理的・科学的に考えているつもりだ。

だって、足元に感じた気配は本当なのだから。「あれっ、何かいるっ!」ってビックリして、ガバッと自分の身体を起こして足元を確認したくらいなのだ。

科学的に言えば量子力学とか電子の仕組みとかに通じるのかな?日常生活で捉えれば、音の振動や音楽がもたらす効果、レイキなんかにも通じるだろう。

静電気や遠赤外線ならイメージしやすいが、生き物と生き物の間では、そういう電気的な波動に加え、それぞれの意志・感情にも関わるようなエネルギーの交換が行われているような気がしてならない。そう思うと、一見アナログなことも全部デジタルな世界に思えてくるな、、。

植物も然り。グングン若い芽が伸びている時はいいエネルギーを感じるし、こちらが一生懸命世話をすると、「あれ、こちらの想いをわかってくれている!」ってくらいに、すくすく育ってくれるから。

まるで意志を持つかのようなキュウリの蔓。

そうやって知識よりも先に、動植物で体験・実感しているだけに、この目に見えない波動の作用についてはとても興味が湧く。時間が出来たらぜひ真剣に勉強してみたい分野だ。

知識のない今の時点で感じることをあえて書きたい気もするが、取り留めなくなるので、それはまた今度、、、。

***

ところで、、、ロウニンを感知したのはなぜ右側の足元だったのか?

それは、ホームオフィスやコテージの私のデスクは右側がオープンで、ロウニンがいつも私の右側の足元に佇んでいるから。また、散歩のときも、道路の歩道側=右側にロウニンを歩かせるから。


外出から戻れば、ロウニンは喜んで私の膝のあたりをグルグル回る。右利きの私が彼の頭をなでる時は、自然と彼が私の右側に位置する時になる。

だからロウニンはもはや私の右足の延長部分。離れていても、その存在を感じることが出来る。

ロウニン、「あなたのいる右側」が、私の標準になっちゃったよ。 



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