レイと「子ども」について語り考えたこと (1)


少し前に、時々行く街探検のサークルのイベントで、Ray(レイ、仮称)という男性と一緒になった。

彼はサークル初参加だったので、たまたま隣にいた私はサークルのことを説明しながら彼とイベントを一緒に見て回った。

イベントが終わった時、レイは私に「もし時間があれば、案内してくれたお礼にお茶でも」と尋ねてきた。

レイは礼儀正しく控えめだったので、彼からそう言ってきたのは少し意外だった。

仕事が残っていた私は、早く帰ろうと思っていたのだが、何となく彼がもっと話したそうな、あるいは、彼がずっと年下だからそう感じたのか、すがるような表情に見えたのが気に掛かり、結果して留まることに。

私たちはカフェに入ってコーヒーを飲みながら、自己紹介がてら「どうしてこの街探検サークルに入ったか」というところから話し始めた。

私の方は単純明白、3,4年前に日本からトロントに来たけど、不規則な仕事のせいでまだ街のことをよく知らない。だからいろいろ覚えたい、という理由。

しかし、トロント生まれトロント育ちのレイは、街自体はもう知り尽くしている。じゃあどうして?

レイは「自分は6年前に結婚して、、、」と語り始めた。そこで私は「子どもは?」と尋ねた。

「実はまあ、それがサークルに入った間接的理由で、、、。」とレイ。

レイと奥さんは、この数年間、ずっと不妊治療をしていた。結婚してすぐ、奥さんが妊娠が難しい体質であることがわかり、それで二人は不妊治療を始めたのだが、その途中でなんとレイも子どもが出来にくい体質であることがわかった。

「よりによってなんで二人とも、、、。」

レイ夫妻は相当なショックを受けたが、それでもアダプション(養子縁組)でなく、どうしても自分たちの子どもが欲しかったため、治療を続けることにした。

それはとてもお金のかかることだったし、精神的にも辛いことだった。「子どもが欲しい」という気持ちは、いつの間にか「子どもを持たなければ」という強迫観念に変わり、レイは鬱に近い状態になってしまった。

奥さんも子どもを持つことを切に願っていたが、レイほど深刻な状態にはならなかった。というのは、奥さんは当初自分が妊娠しにくい体質であることに罪悪感を感じていたが、レイもそうであるとわかった時から、皮肉にも気持ちが軽くなったようだった。

レイはかろうじて仕事は続けていたものの、休みの日は家に引きこもった。誰にも会う気がせず、何をする気にもなれなかった。機械的に食事はするが、美味しいと思うどころか、何を食べたかもよく覚えていない。そんな状態が数カ月続いた。

それが、今年の冬のある日、奥さんの付き合いで、ある社会問題を喚起するドキュメンタリー撮影の手伝いをすることになった。まさか、そのフィルムを作っていた若い女性が、レイに変化のきっかけをもたらすとは思いもよらずに、、、。

その女性は輝くようなエネルギーに満ちていた。自分の考えに信念を持ち、フィルムが必ずや誰かの心に届くと、情熱を持って仕事をしていた。何の面識もない女性だったが、レイがすっかり忘れていたポジティブさや社会と関わることによる向上心が身体中に溢れていた。

たかが数時間の手伝いだったが、なぜかその体験がレイの中の何かに触れた。レイはその夜、声をあげてワンワンと泣いた。自分でも驚くくらいに。

するとどうだろう、翌日からレイは、まるで憑き物が落ちたように急に気分が軽くなった。そして自分の中から、こんな声が自然に湧いてきた。

「子どものない人生だっていいんだ。子どもがいなくても、同じくらい楽しいこと、やりがいのあることがきっとある。」

そしてレイは奥さんと話し合い、ずっと続けていた不妊治療を止めることにした。その代わり、二人で楽しいことを見つけようと。レイはこの時、見えない鎖から解き放たれたのだった。

レイが街探検サークルに入ったのはそれから間もなくだった。

たとえ生まれ育った街でも、知らないイベントやお店はまだたくさんあるし、何よりもどんどん外へ出たい。そして新しい人や経験と出会いたい。

彼がサークルに入ったのは、そういったとても深い理由が隠れていたわけだが、結果してその初参加の日、彼は願ったとおり、私という新しい友達に会ったわけだ。

「数カ月前の自分なら、こうやってイベントに出かけたり、誰かとお茶することもあり得なかったよ。」と苦笑するレイ。

初めて会った人なのに、苦しい場所から抜け出したレイに対して、私はとても嬉しく感じた。

同時に、レイとの出会いは、私に「子ども」について考える機会をもらたした。
  

(続く。)

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