私から私へ

先日、日本の実家から送ってもらった郵便物の束に、以前勤めた仙台の会社からの封書がひとつ入っていた。それはなんと、遡ること約13年前の2003年、組合の企画で書いた『10年後の私へ』という、未来の自分へ宛てたメッセージカード!


本当なら10年後=2013年に届くべきものだったが、その後私は退社してしまったためか、何かの手違いがあり、最近ようやく発送されたのだった。

いや~、ビックリ。何を書いたかどころか、こんなカードの存在自体全く覚えていなかった。10年前の私は、10年後の私に一体どんなメッセージを送ったのか?

おそるおそる封をあけて開いたカードに書いてあったのは、、、、、


”これでご飯でも食べなさい 32才の私より”



 ぷっ。

10年もの歳月をかけて送ったメッセージが、、、これ?しかも千円札同封されてるし!
あまりにもワクワクで開けただけに、拍子抜け&アホらしくて笑ってしまった。

が、次の瞬間、「私らしいな」とも思った。私は子供の時からどこか天邪鬼だったり奇をてらったりするのが好きなところがあるのだ。

あるいは、これを書いた2003年後半は、残業三昧の日々で全く余裕がなく、とっとと提出してしまいたかった、というのもありえる。現に、この手紙の中には、仕事、家庭、健康といった項目もあるのに、そこには何も書いていないから。

あるいは、私が退社したのはこの年の年末だったので、私なりに10年後の私がちゃんと食えているか、微妙に心配していたのかもしれない。(笑)

いずれにしても、過去の私からの手紙によって、しばし当時のことを思い出したり、自分の性格を考えたりで、面白いひとときを過ごした。


仙台時代、少し似たようなことをやったことがある。

行きつけのバーで、その時いた常連の女性と一緒に、「プチ・タイムカプセル」とばかりに、面白半分に1年後の自分に手紙を書いたのだ。手紙といっても、メモ用紙に1行、思いついたことを半分酔っぱらって殴り書いただけなんだけど。


バーのお姉さんは、その手紙をちゃーんと封をしたまま保管していてくれて、1年後に私たちに渡してくれた。たった1年なのに、私は手紙の存在を忘れていて、受け取った時とてもワクワクしたのを覚えている。

実は肝心の手紙の内容を忘れてしまったので、「オチ」がないエピソードになってしまうけれど、当時の自分自身に対する反省のような、戒めの言葉を書いていた気がする。

そして1年後に読んだ自分は、その点において全く進歩していなかったので、「やれやれ」で終わったのだ。それはそれで自分を顧みることが出来て面白かった。


それらの直接的な「私への手紙」はもちろん、自分が書いていた日記やブログ、最近であれば数年前のフェイスブックのポストなんかも、ある意味自分宛ての手紙に成り得る。

写真でも思い出は蘇るけど、自分の言葉で何かしら書き残していれば、当時の心情や想いがもっとリアルに自分の心に迫って蘇ってくるだろう。たとえ胸の内全部を詳細に書いていなくても、自分自身なら、その行間に込められた想いを直ちに察知するはずだ。

また、想いを残すツールは文字だけに限らない。芸術家などは、自分の想いを投影した作品を見れば、創作当時の想いや、精神的・物理的環境をよ~く思い出すのでは。

日記にしても作品にしても、書いているときは未来の自分に宛てているわけではない。しかし、未来の私がそれを見た時、私たちはそこに、励ましなり戒めなり、何らかの自分宛てのメッセージを読み取ることになる。

具体的に何が起こるかというと、頭が自動的に過去の自分をまるで「もう一人の別な自分」のように客観的に捉え、今の自分と何がどう違っているか比較を始めるのだ。

実社会で初対面の人と挨拶を交わしながらも相手を探るように、それは、時空を超えて、「私」と「私」が対話を始める瞬間。そこで得た過去の自分からの学び=メッセージは、未来へとまた続いていく―。

事実、私はニューヨーク時代に書いていたブログを時々読み返すのだが、元々写真とかリンクとか何か探し物のために訪れたつもりが、文章を読みだすと当時の自分の葛藤や奮闘が思い出されてきて、しばしタイムトリップ、、、。

(掃除をするつもりでクローゼット開けたけど、出てきたアルバムや漫画にハマってしまう、あのパターン!)

そしてニューヨーク以前の自分から現在までを振り返り、自分の中で変わったこと、変わっていないことについて思いを巡らす。そういう時間軸の上には、いろんな「私」が存在する。


今こうして書いているこの日記も、いつかの私への手紙に変わるだろう。

いつの自分も苦しいこと、辛いこと、楽しいこと、それぞれある。「今が人生最高の時!」とか「こんなに苦しいことはこの先ない!」と、その時思っても、新たな喜びや苦境は次々とやってきて人生を上書きしていく。とにかく物事は変わり続けていく。

それでもひとつ願いたいのは、未来の私がこれを読む時は、やはり今回の『10年後の私へ』のカードを見た時のように、「ぷっ」と笑ってほしいな、ということ。

笑えるっていうことは、なんだかんだ言ってその間「自分らしさ」をまっとうしてきたような気がするから。


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P.S. 私のお友達へ:今度一緒にタイムカプセル(数年後の自分宛て手紙)しよう!きっと楽しいよ。

ニューヨーク時代のブログ:NY日記Colors (ペンネームSallyの名で、留学・仕事・生活について書き綴ったもの。2003 - 2012)

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