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1月, 2017の投稿を表示しています

1月の雪道

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先日北の職場近くの農場が広がるエリアにミーティングがあって行ってきた。 広大な農地があるほかに、この辺りは酪農・畜産もやっているので、通りすがりに牛、馬、羊、時にはロバやアルパカまで見かける。 この日も白黒の可愛い牛たちと遭遇。おそらく乳牛?人慣れしているようで、車を停めて近寄ったら、牛たちの方こそ私の側に集まってきた。 か、かわいい!しかも犬のロウニンと同じ白黒の配色だから、特別に愛着が湧いちゃう。 ところで1月は冬という季節のど真ん中。その年によって雪の積もり具合は違うが、必ずいくらかはあるのが1月だ。 NYセントラルパークの雪道 私はこのブログのタイトルにも意味をこめたように、新潟で生まれ育って以来、ほぼ一生を雪の降る北の地で過ごしている。 だから、雪景色には馴染みがあるし、何だか年中雪道を歩いているような気もしている。 それでも、白い雪が目に見える雑多なものをいったん何もかも覆って、この世とは思えない幻想的な、しかし自然の本体の姿で現われた時は、ちょっと特別な気持ちになる。 自分の目の前にある現実的な問題や人間の行いというものが、逆に非現実でちっぽけに感じられてならない。 そして、雪道や吹雪の中を歩く時は、乾いた平坦な道を歩くのと違って、一歩一歩転ばないように踏んばりながら歩くものだから、まさに自然の力を思い知らされる。 どこまでも続く雪道 ひたすら黙々と歩くその間は、もはや「瞑想」に近い。 雪を踏みしめて歩くたび、足の裏から入ってくる自然からの応答は、ちっぽけな問題に対するものでなく、 「自分や人間はこの世で何をすべきか?」 「何が一番大事か?」 というような、普遍的かつ、根本的な問いかけだ。 1月の雪道を歩くたびにそうやって同じ問いかけが巡ってくるものだから、数年前踏みしめて歩いたあの雪道と、今歩いているこの雪道が続いているような錯覚にさえ陥る。 * 1月の雪道によってリセットされる、初心にかえる、というのは、単に思いを巡らすだけの話でない。 カレンダー上で1年の始まり、ということを抜きにしても、これまで自分の人生の中で、1月が何らかの区切りやスタートであったことが過去に何回かあった。

カナダはオーガニック製品の宝庫!~ Ambrosia ~

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カナダで暮らしていていいな、と思う一つは、オーガニック食品(有機農産物)が豊富なこと。食品だけでなく、スキンケア・コスメ、洗剤等の生活用品、ペットフードに至るまで、フツーのスーパーやグリーン・マーケットでごく日常的に買えるし、その種類も多い。 カナダのオーガニック・トレード協会のデータによると、 2006 年から 2012 年の間にカナダでのオーガニック製品の市場は3倍に拡大し、カナダの 58 %の人々が毎週何らかのオーガニック製品を購入しているとのこと。 これは 2013 年時点だから、今ならもっと増えているだろう。北欧なんかはさらに数値が高そう。 オーガニック製品に関しては、仕事でも関係しているし、自分の興味もあって、休みの日にオーガニックショップやスーパーのオーガニックコーナーに行って、製品を物色するのが楽しい。 ということで、自分のデータベースとしても、このブログにもバンバン挙げていこう。 今日は、近所にあってよく行くオーガニック専門店『 Ambrosia 』から。 まず、種類が多いと言ったら、穀物・豆、チョコレート類だろうか。古代種のスペルトやファッロ、人気の亜麻 (Flax Seed) 、カカオ含有率の高いチョコ等々、これらはどの店に行っても品ぞろえが豊富。一見オーガニックと無縁そうな?チャイニーズ・スーパーにだって置いてある。それだけ客が求めているんだろうな。 乳製品や肉は、グラスフェッド(牧草飼育)によるもの。 赤毛のアンで有名なカナダのプリンス・エドワード島で作られた発酵バター。おとぼけ顔の牛のパッケージが可愛い。 時々無性に食べたくなるチップスも、興味深いテイストが多々あって全部試したくなる!写真はアボカド・オイル使用のハワイアン BBQ とヒマラヤン・ソルト味。 冷凍メキシカン食品・黒豆のブリトー。完全オーガニックでなくとも「 88 %オーガニック」というようにちゃんと表示してあるからいい。 食品だけでなく、錠剤・粉末サプリも相当な種類がある。基本、自然素材で作られたもの・遺伝子組み換えでない (Non-GMO) もの。 英仏が公用語のカナダは製品表示も必ずその二言語。こ

The End of an Era :オバマ大統領

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去る1月 10 日にあったオバマ大統領の最後のスピーチ。私もそうだが、これを聞いて涙した人は多いのでは?特に、一貫した高い意識で 8 年間を共に歩んだミシェル夫人と娘たち、バイデン副大統領への感謝と称賛を述べた時、彼が初めて大統領になった時の興奮が蘇ってきて胸が熱くなった。 8 年前、彼がアメリカに歴史を刻む時に自分がアメリカに居たことはとてもラッキーだったと思う。彼が民主党の一候補から党の公式候補になり、最後に共和党マケイン氏に勝つまで、私は周囲の熱気を肌で感じていた。 下記は、その選挙の夜、当時まだ学生だった私が、宿題で書いていたエッセイのファイルに、感激のあまり残していたニューヨーク・タイムズの選挙結果速報の画面コピー。 開票結果が気になってニュースをちらちら見ながら宿題していたけど、 OBAMA の文字がドドーンっと出た時の興奮といったら!!! オバマ氏が当選した翌日、自分が授業を受けていたアフリカン・アメリカンの教授は、喜びのあまり授業の途中で本当に泣いてしまった。 * 政治は大統領一人で行うものではないし、国内外の問題は複雑に絡み合っているから、時には苦渋の、不本意な決断もあっただろう。また、全部の課題を完璧にこなすことは誰が大統領になってもおそらく無理だ。 しかしそういう政治的なことでなく、また、彼が黒人初の大統領うんぬんというのでもなく、人間的に彼に惹かれていた人は多いと思う。ミシェル夫人を含めたチームとしても。 事実、私は、アメリカ市民でもアフリカン・アメリカンでもないし、正直政治のことなんてよくわからないが、 8 年前の今月、オバマ大統領就任式の中継で、パレードの黒塗りの車から降りてミシェル夫人と手をつなぎながら両脇の人々に手を振る姿を見て、そして演説を聞いて号泣していた。ずっと根本的な部分で何かを感じ、大げさだけど、 「人として」 涙してたと思う。 大統領でありながら「いち人間」として私たちの心にストレートに語りかけてくるような彼のスピーチは、 "I Have a Dream" が有名な マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (キング牧師)のスピーチと共通したところがあると思う。 いずれも、普遍的・良心的な内容が、さらに音や波動

PASTA☆SUNDAY

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仕事が詰まるとなぜか無性に料理がしたくなる。単に目の前のタスクから逃げたいだけかもしれないけど、実際、無心に野菜切ったりしてるとヒーリング効果が。終わった頃にはちゃんとリフレッシュしてるもんね。 オンとオフの境目がない生活だけど、それでも日曜の昼間はメールが入らないから比較的スロー。だからいろいろやるべきことを終えた日曜に料理をすることが多い。 今日は少し前の日曜に初めて作ったパスタのことを。イタリアで料理修行をした友人から教えてもらった、粉からこねる手作りパスタに初挑戦。ショートパスタなので、パスタマシンがなくとも OK ! オーガニックのデュラム・セモリナ粉だけ買って、あとは塩とお湯だけ。まずは手でこねて丸めて寝かせて、、、 小さなブロックに分けたら、細く伸ばし、さらに小さくカット。金太郎飴とか千歳飴みたいな切り口。粘土遊びしているみたいで楽しい! 食べる時にソースがよくからむよう、パスタに溝を刻む。本来なら、写真のようなニョッキ・ボード等、ちゃんと専用のツールがあるようだが、そこらへんにあるものでもOK。今回は茶こしの裏とフォークで。魚の形にしたりして遊んじゃった。 今回は急遽思いついて、一部ビーツを混ぜ込んでみた。(ひどい見てくれだ、、、) 何も混ぜないパスタの方は、茹であがったら、まずはシンプルにイタリアのポルチーニ茸のソースを絡めた。シンプルな方がパスタの出来具合がわかるもんね。さて結果は、、、、結構膨張して肉厚ながら、茹で立てはモッチモチで美味しい!これは成功! お次のビーツ入りパスタは、、、こちらもシンプルにガーリックと赤唐辛子でペペロンチーニ風にしたけど、ビーツの色が抜けてダメ。せめて楽しくと、茹でてハート型にしたビーツを乗せて「これがほんとの Heart Beets(Beats)! 」なんて、おやじギャクで遊んでた! まあ、これはレシピも見ずに思い付きで、しかも最後の方に適当に混ぜ込んだだけだからなあ。本当はこういう綺麗な色を予想していたんだけど、ほど遠い!これはいつかリベンジを。 From NY Times Cooking: Mark Bittman,  Beet Gnocchi 私の料

48時間 ~遠い国の男の死~

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お正月のおめでたい時になんだが、、今朝こちらの知人の父上が亡くなった。知人はヨーロッパ出身で、年末に自国に帰省し父上に会ってきたばかり。ほんの数日前に後にした故郷に、今度はお葬式のために向かう。 その父上は老衰で数カ月前から入院しており、ここのところ話しても反応が途切れ途切れだったらしい。先日知人が帰省した際も、知人をもはや自分の子供だと認識することもなかったそうな。 だから知人はすでに覚悟が出来ていて、とんぼ返りすることも想定内のようだった。 「身体は車いす上でかろうじて動くけど、意識はほとんどない。あのままでは生きている意味がない。」と、そういや知人は以前漏らしていた。早く安らかに眠りにつく方が、父にも家族にもベターだろうと。 知人は、おととい「あと 48 時間以内に逝くであろう」との医師の予想を自国の家族から受けた。そして父上は本当に 48 時間のうちに逝ってしまった。 私にとっては、その知人自体長い付き合いでもないし、ましてやその父上なぞ、会ったこともない遠い国の誰かなだけだ。しかしおととい「父が 48 時間以内にこの世を去る」と聞かされてからの2日間、私は何だかずっと、得も言われぬ不安とともに引っかかっていた。 実は先週、その知人が用事で自国から私にメールをくれた時に、たまたま家族と食事している写真もつけてくれたから、私もその父上を写真で見ていた。だからショックを受けたことは確かだ。だって、それからまさか1週間後に亡くなるなんて。 もうひとつは、日本にいる自分の父と重なってしまったこと。私の父は今でこそ元気だが、ここ数年の間いくつかの大病を患い、一旦は記憶を失ったり、意識が飛んだりしたことがあったから。 海外にいる者は皆、親の元にすぐに行けない不安ともどかしさを持っている。帰省するたび、「次の帰省までに何事も起こりませんように」と願う。自国に親を残す今回の知人もまさに同じ境遇だから、それもあって心情が重なった。 また、私はこちらで動植物と触れ合うようになってから、生命というもの、特に生まれたばかりのピカピカの新しいエネルギーをぐっと近くで感じてきた。それだけに、今回その対極、終焉を象徴する知人の父上から、改めて「今」という瞬間の儚さ、尊さを実感、、、。 あと 48